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最近のフィリピン情勢と日・フィリピン関係 2005年4月 政治情勢1.第二次アロヨ政権の発足と今後の課題(1)2004年5月10日に行われた大統領選挙は、現職大統領であり最大政党ラカスの支持を受けている点で組織力・資金力で優位に立つアロヨ候補と、国民的映画スターとして有権者の8割を超える低所得者層に人気の高いポー候補による事実上の一騎打ちとなった。 (2)1ヶ月以上を要した集計の結果、上下両院協議会において、正式にアロヨ大統領の当選及び、デ・カストロ上院議員の副大統領当選が宣言された(アロヨ大統領と次点のポー候補の差は約100万票(得票率にして3ポイント))。アロヨ大統領は、それまでの3年半を含め9年半の長期政権を担うこととなった。 (3)アロヨ大統領は過去3年間、貧困対策やテロ・治安対策に重点を置いてきた。今後の課題としては、選挙の際の与野党の政治対立を乗り越え、国内融和に努めること、及び財政赤字問題に象徴される国内の行財政上の課題に緊急に取り組むことが重要である。このため、アロヨ大統領は2004年7月の施政方針演説において、税制改正や行政機関のダウンサイズのための省庁の統合再編、歳出抑制等についての具体的な方針を示すと共に、政策上の優先分野として、1)経済成長を通じた雇用創出、2)腐敗撲滅、3)社会正義と基礎生活分野のニーズの充足、4)教育、5)安定したエネルギーの確保の5つを挙げた。さらに抜本的改革のために必要ならば、憲法改正による議院内閣制への移行も検討すべきとの考えを示した。 2.憲法改正問題(1)2003年3月19日、下院は上下両院合同の「憲法議会(Constituent Assembly)」を通じた憲法改正を求める決議案を134対13の圧倒的多数で可決したのに対し、同年7月、上院で実施された投票では14議員のうち8議員が「憲法評議会(Constitutional Convention)」(広く国民から選出した評議員で構成)による憲法改正を支持した。 (2)同決議案で言及されている改正事項は、1)政府形態の見直し(議院内閣制と一院制の導入)、2)経済関連条項の見直し、3)旧体制から新体制への移行メカニズム(2004年国政選挙の延期、現職任期の3年延長)。 (3)2004年7月に行われた施政方針演説においてアロヨ大統領は、「2005年には議会において憲法改正に向けた検討が開始されることに期待している」旨発言している。 3.モロ・イスラム解放戦線(MILF)との和平交渉(1)アロヨ大統領は、エストラーダ前政権下の2000年5月から中断していたモロ・イスラム解放戦線(MILF)との和平交渉再開に向け、ミンダナオ問題担当大統領補佐官を団長とする対MILF交渉団を任命。和平交渉の環境造りのため、国軍による軍事活動の停止を就任後いち早く発表した。 (2)2001年6月20日、リビアのトリポリで約1年振りに和平交渉が再開され、22日、双方で「和平に関する合意」に署名。同合意において、1)1997年7月の停戦協定の履行と強化、2)停戦協定を含む合意事項の履行監視のためイスラム会議機構(OIC)代表を招致、3)避難民に対する全ての財政的、物質的、技術的援助の提供、4)MILFによる紛争地域の復興・開発プロジェクトの決定・主導・管理、等につき合意した。 (3)2001年8月7日、マレーシアにおける和平交渉において、前回交渉で署名された合意を実施するための「共同コミュニケ」及び「停戦に関するガイドライン」に双方が署名した。なお、同日、MILFとMNLFとの間で「統合に関する一般枠組み」が署名され、過去に分裂した2つのイスラム組織が、「The Bangsamoro Solidarity Conference」との新名称の下に強調に向けて調整を開始することとなった。 (4)2002年5月、マレーシアにおける和平交渉において、紛争地域の復興・開発に関する「共同コミュニケ」及び「人道・復興・開発面の実施ガイドライン」に署名。同合意文書の中で双方は、1)全ての犯罪組織及び誘拐組織のミンダナオでの活動禁止、2)犯罪者逮捕のための「暫定共同行動グループ」の形成、3)人権尊重及び国際人道法の遵守、4)開発復興プロジェクトの実施体制の構築、5)避難民の帰還及び必要物資、技術支援の提供、6)合意実施を監視する「モニタリング・チーム」の設置等について合意した。 (5)2003年2月以降、国軍とMILFとの軍事衝突が激化。同年3月にマレーシアで予備交渉を開催したが、MILFによると見られる爆弾テロや公共施設への襲撃事件がミンダナオで頻発したの受け、同年5月にアロヨ大統領が交渉の無期限延期を発表。その後、両者の間で停戦が成立し、現在、マレーシアの仲介の下、交渉再開に向けた調整が行われている。 4.共産主義勢力との和平交渉(1)アロヨ大統領は、就任直後、エストラーダ政権下の99年7月より中断していた共産主義勢力(NDF:民族民主戦線)との和平交渉再開に向け、ベリョ元司法長官を団長とする交渉団メンバーをいち早く任命した。 (2)2001年4月27日から5月1日まで、ノルウェーの首都オスロでフィリピン政府と共産主義勢力との和平交渉が約2年振りに再開され、4月30日には双方が「共同コミュニケ」に署名した。同コミュニケにおいて、和平交渉に参加する共産勢力メンバーの安全と不逮捕の保証、今後18ヶ月間で和平交渉を終了させるべく最大限努力すること等につき合意された。 (3)2001年6月11日からオスロで和平交渉が再開されたが、翌12日にフィリピン北部カガヤン州で下院議員が共産ゲリラ(NPA:新人民軍)により殺害されたことで、フィリピン政府は交渉の無期限延期を決定。 (4)2002年8月、米国政府は、比共産党(CPP)と新人民軍(NPA)を「外国テロ組織リスト」に追加したの続き、同2組織と共産党創設者でオランダ亡命中のホセ・マリア・シソンを「資産凍結対象リスト」に追加した。比政府は、同年8月13日に採択した「対共産勢力9項目政策ガイドライン」の中で、米国の措置を歓迎し、国軍と国家警察による対NPA作戦の継続を表明する一方で、共産勢力とのコミュニケーション・ラインを今後も開放し国家統一と憲法の範囲内での和解達成を希望するとした。 (5)共産勢力側は上記(4)を受けて、ハランドニ交渉団代表がオランダにおけるアロヨ政権との和平交渉を無期限延期すると発表、NPAスポークスマンはフィリピン国内における米軍及び米軍権益に対する攻撃開始を示唆した。 (6)2003年1月、政府は「最終和平協定案」を策定、共産勢力側に提示するも、共産勢力側はこれを拒否。しかし、その後の非公式交渉により、公式和平交渉が再開されることとなった。 (7)2004年2月10日から14日にかけて、ノルウェーのオスロにて約3年ぶりに和平交渉が再開された。焦点となっていた米国等によるCPP/NPAのテロ組織指定解除問題については、同問題解決のため双方が努力することで合意し、和平交渉を継続することとなった。 (8)2004年8月に第4回交渉が予定されていたが、共産勢力側が、米国等による国際テロ組織指定問題を理由に交渉の無期限延期を発表し、正式交渉は中断している。 治安・テロ情勢1.爆弾事件等(1)2002年10月、マニラ首都圏とミンダナオ島サンボアンガ市で爆弾事件が相次いで発生、多数が死傷した。フィリピン当局は、サンボアンガ市の事件について、イスラム過激派組織アブ・サヤフ・グループ(ASG)のメンバーと見られる容疑者5名を逮捕したが、東南アジアを拠点とするイスラム組織「ジェマ・イスラミア」(JI)の関与も含め、全容解明には至っていない。 (2)2003年3月4日、ミンダナオ島のダバオ国際空港ターミナルで爆弾テロ事件が発生し、米国人宣教師1名を含む21名が死亡、約160名が負傷。翌5日、ASGがメディアを通じて犯行声明を行ったが、当局はMILFゲリラの犯行の可能性もあると見ている。 (3)2003年4月2日、ダバオ市のササ港埠頭で爆弾テロ事件が発生、18名が死亡、50名以上が負傷。また、翌3日、同市内の3カ所のイスラム・モスクで連続爆弾事件が発生した。 (4)2005年2月14日、ミンダナオ島ダバオ市及びジェネラル・サントス市、並びにマニラ首都圏マカティ市において、連続爆発事件が発生し、100名以上の死傷者が発生した。これら一連の爆発事件につき、ASGが犯行声明を発出した。 2.米国との協力関係
(1)合同軍事演習 (2)相互後方援助協定 (3)共同防衛評価 3.東南アジア諸国とのテロ対策協力(1)2002年5月7日、テロとの戦いにおける協力促進を目的とする「情報交換・連絡手続策定に関する合意(Agreement on Information Exchange and Establishment of Communication Procedures)」が、マレイシアにおいて、フィリピン、インドネシア、マーイシアの3カ国の間で署名された(その後、カンボジア、タイが加盟)。 (2)本件合意において3カ国は、テロ活動、資金洗浄、密輸、海賊、ハイジャック、麻薬、出入国管理規定違反、海洋汚染等を防止するコミットメントを表明し、国境、安全保障に関する事件、国境を越える犯罪及びその他の犯罪行為が発生した場合、調整のための便宜を図り、共同行動を行うとしている。また、情報交換等を通じた国内的・地域的能力の強化、協力メカニズム策定のための関連国内規定の見直し・強化を謳っている。 経済情勢1.経済成長の推移(1)フィリピン経済は、ラモス政権下(92年〜98年)、財政再建や規制緩和等の経済構造改革を推進しつつ外資導入と輸出主導による高度成長を実現し、成長率(実質GDP)は、93年0.3%から97年には5.2%と急速な成長を遂げた。 (2)97年7月のタイ・バーツに始まったアジア通貨危機はフィリピンのペソにも波及。これに、インフレ率の上昇と財政収支の悪化に加え、エル・ニーニョ現象の影響により農業生産が低迷したことで、98年の成長率は91年以来のマイナス成長(−0.6%)を記録した。 (3)99年は、天候回復等によるコメやトウモロコシなどの農業生産の復調や製造業部門の好調もあり、成長率が3.4%に好転し、貿易収支も11年ぶりの黒字(43億ドル)を記録した。 (4)2000年も、農業部門の成長は鈍化したが、製造業部門の大幅成長、好調な個人消費と輸出に支えられて、成長率4.4%、貿易黒字36億ドルを達成した。 (5)2001年は、世界経済の後退により輸出と鉱工業が減退したが、堅調な農業とサービス業、好調な個人消費がこれを下支えする形で、成長率3.2%を維持した。 (6)2002年の成長率は4.6%で政府目標(4.0%)を達成。 (7)2003年は、成長率4.5%と堅調な個人消費を背景に2002年同様まずまずの成長を達成し、いずれも政府目標をクリアした。農業生産が下半期5%台の伸びを見せ、通信セクターを中心にサービスも引き続き高い伸びをみせた。 (8)2004年も引き続き個人消費・サービスに牽引され、成長率6.1%を達成した。 2.経済面の課題
(1)財政赤字 (2)不良債権処理 3.東南アジア諸国とのテロ対策協力(1)2002年5月7日、テロとの戦いにおける協力促進を目的とする「情報交換・連絡手続策定に関する合意(Agreement on Information Exchange and Establishment of Communication Procedures)」が、マレイシアにおいて、フィリピン、インドネシア、マーイシアの3カ国の間で署名された(その後、カンボジア、タイが加盟)。 (2)本件合意において3カ国は、テロ活動、資金洗浄、密輸、海賊、ハイジャック、麻薬、出入国管理規定違反、海洋汚染等を防止するコミットメントを表明し、国境、安全保障に関する事件、国境を越える犯罪及びその他の犯罪行為が発生した場合、調整のための便宜を図り、共同行動を行うとしている。また、情報交換等を通じた国内的・地域的能力の強化、協力メカニズム策定のための関連国内規定の見直し・強化を謳っている。 外交1.外交方針等(1)フィリピンは、冷戦構造の終焉、在比米軍の完全撤退という自国を取り巻く国際情勢の変化を踏まえ、従来の対米関係重視の姿勢に加え、最大の援助供与国である日本をはじめとしたアジア・ASEANを中心とした外交の多角化と経済外交の推進を重視してきている。 (2)アロヨ政権の外交の基本方針は、これまで大きな変化はないが、従来に比較して経済外交を重視する姿勢を一層明確にしている。また、ミンダナオ問題解決の観点から、イスラム諸国会議機構(OIC)、イスラム諸国との関係強化を打ち出している点が特徴である。 2.外交政策の3本柱安全保障政策 (1)フィリピンの安全保障は、長年、比米相互防衛条約に基づく米国との同盟関係を基軸とした対米依存であった。その後、92年11月の在比米軍の撤退、南沙諸島領有権問題をめぐる対中関係の緊張化を受けて、政府は国軍の近代化政策を打ち出している。 (2)一方、米軍撤退後も米国との軍事協力関係は維持され、99年に成立した「訪問米軍の待遇に関する協定(VFA)」に基づき、2000年2月に4年半ぶりに比米合同軍事演習(バリカタン)が再開された。 経済外交 (1)フィリピンは97年のアジア通貨危機において、他のアジア諸国に比べて影響は少なかったものの、今後の経済発展には外国との貿易及び対比投資の拡大が不可欠であるとして、ASEAN自由貿易圏構想(AFTA)等の域内経済協力を推進するとともに、関係各国と投資保護協定を締結するなど、積極的な経済外交を展開している。 (2)アロヨ政権は、観光、貿易、投資の促進やミンダナオ復興・開発に国外からの支援を期待しているが、特に情報技術(IT)分野の比較優位を対外的にアピールするとともに、治安等の問題もあり近隣諸国に比べて立ち後れている観光分野の躍進にも力を入れている。 海外労働者の利益保護 フィリピン人海外労働者(OFW)は現在800万人を上回ると言われ、日本、米国、サウジアラビア、香港、台湾等で多くのOFWが就労している。彼らはGNPの7%以上に相当する金額を本国に送金しており、比の貴重な外貨獲得源となっている。そのため、OFWの海外における利益保護は重要な外交政策の柱となっており、政府は在外公館の機能強化や、多くのOFWを抱える国々との二国間協議等を通じて、自国民保護に努めている。 3.南シナ海領有権問題(1)フィリピンにとって重要な外交課題の一つ。95年に比が領有権を主張する礁に中国が施設を建設したことから問題が深刻化し、98年10月にはミスチーフ環礁に中国が建造物を構築したため、比中間の緊張が高まった。また、99年には監視行動をしていた比軍警備艇が係争海域内で操業中の中国漁船を拿捕するため接触し、漁船が沈没する事件が続発した。 (2)フィリピン政府は、99年7月のASEAN外相会議において「南シナ海における地域的行動規範」案を提示したが、現在まで採択されていない。 (3)2002年11月、中・ASEAN首脳会議において、各国首脳が「南シナ海における関係国の行動に関する宣言」に署名。同宣言では南シナ海の問題解決における大まかな原則を明記。より具体的な行動を定め、強い法的拘束力を持つ上記(2)の行動規範については策定作業を継続中。 (4)2005年3月、フィリピン、中国及びベトナムの石油開発企業が、今後、南シナ海において石油資源の合同調査実施を実施することにつき合意した。 日・フィリピン関係1.要人往来アロヨ大統領就任以降の主な要人往来は次のとおり。
2.経済関係
(1)貿易
(2)投資
(3)日・フィリピン経済連携 3.経済協力(1)援助実績 (2)重点分野
(3)ミンダナオ支援 4.文化交流(1)我が国はフィリピンにおいて、毎年2月に「日比友好祭」と銘打って、日本文化・芸術の紹介や講演・シンポジウムなどの相互交流プログラムを集中的に実施している。日本語学習者は99年調査によればフィリピン全国58の教育機関で約8千名が日本語を受講。また、我が国は文化無償協力として、2002年度までに計42件、総額約計17.5億円を供与している。 (2)2002年5月現在の在日フィリピン人留学生は508名。フィリピン元留学生連盟は傘下に7組織を数え、計1万人を超える元留学生が参加している。このほか青年交流として、東南アジア青年の船や青少年招聘事業、地方自治体及び民間レベルの青少年交流など、日比間の青少年交流は多数に上る。 (3)フィリピンにおいて、日本研究を実施している高等教育機関としては、フィリピン大学、アテネオ・デ・マニラ大学、デ・ラサール大学等が挙げられ、未だその研究者の層は薄いが、着実に若手の学者が育っている。なお、日比双方の研究者が共同して「日比交流史編纂事業」が進められた結果、2003年2月に論文集「Philippines-Japan Relations」がアテネオ・デ・マニラ大学出版部から、2004年2月に岩波書店から日本語版である「近現代日本・フィリピン関係史」が出版された。 5.人的交流(1)来日するフィリピン人は着実にその数を伸ばしているが、近年の増加は芸能人と日本人の配偶者の増加によるもの。日本在留のフィリピン人(外国人登録者数)は、2003年12月現在で185,237人(全外国人の9.7%)で、韓国・朝鮮、中国、ブラジルに次いで第4位の数字。 (2)フィリピンの在留邦人数はyg、2004年10月現在で12,498人(うちマニラ首都圏8,956人)で、国別在留邦人総数で14位であった。 |